〜想い出の外国人選手について語る?〜



今回はプロ野球の「想い出の外国人選手」(超私的な)について語りたい。
このひねくれ者の私ですから、そんじょそこらの名選手などはどうでもよく、いわゆる「え?いたっけそんな外人」的な選手を、思い出せるだけ登場させたい。 もちろん、トマソンのような有名どころは省きます。っていうか、トマソンって今思えばそこそこ活躍してたし。
まず、ヒーロー的な選手といえば、巨人の呂明賜(1988〜91)をおいて他にいない(だが既に名前も忘れかけていて「賜」を「錫」と打ち間違えた)。 豪快な打撃フォーム。無骨な顔と体つき。初打席、ヤクルトのギブソンから打ったライナーのホームランは繰り返しニュースで見たこともあって鮮明に覚えている。
あと、サヨナラホームランも打ったなあ。それらがデビューして数試合の間に起きた。夢のような日々だった。
私的な呂の魅力はといえば、背番号97だったこと(打たれたギブソンの背番号91もかなり好き)。その翌年、背番号が地味な12に変更されてから低迷期に入ったから、もう一度97に戻して欲しいと願った。 この後はどの外国人を見ても、呂ほどのトキメキを感じることはできない。
ヒーローはこのくらい。あとはトホホ的な選手を。
中日・カスティーヨ(1987)
途中入団で入った投手。背番号が41で、名球会入りした谷沢の後を継いだにしては…。初登板で打たれたが、監督の星野は「合格だ!」 と、やけ気味?のコメント。結局登板は2試合のみ。自分の不甲斐ない投球に腹を立てたのか、スパイクに火をつけたことで有名。
大洋・レスカーノ(1987)
メジャー現役バリバリという触れ込みで来日。期待も大きかったが、すぐさま大スランプに陥った。そうしたらいきなり退団会見である。
「体力の限界」的なコメントと共にわずか20試合出場で帰っていった。じゃあ最初から来んな!と思う。代わりに退団したローマンが 不憫である…。
なお、背番号は18。打者でこれをつけた選手は日本では稀少。
ヤクルト・郭建成(1989〜91)
ヤクルトは私好みの外国人選手の宝庫。有名なデビュー戦サヨナラ暴投のアイケルバーガー(この名前も如何なものか)をはじめ、特に関根・土橋監督時代あたりに 豊富にそろっている。
郭は、そんな中では印象は地味である。が、記憶にあるのは野村監督時代のこと。先発して打者一人を抑えたところで交代したことがある。 別に怪我したわけでもなく、相手チーム(巨人だったかな?)撹乱のため。いわば当て馬先発。もともと第3の外国人扱いだから 登板する機会が少ないのに、こんなとこに使われて…と、妙に印象深い。ちなみに背番号は37。
ああ、スペースがなくなってきた。続きはまた今度。

2005.1.18.