〜東武熊谷線・最後の春〜
東京近郊を走る大手私鉄路線の中で、異彩を放っていたのがこの東武熊谷線である。
単線非電化、1両のDCが1時間に1本程度運行され、乗客は疎ら。
そもそも熊谷線は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に軍の要請によって部分開業した路線である。工事期間は約1年、突貫工事であった。 この路線の本来の目的は、熊谷と群馬県の小泉町にある中島飛行機工場を結び、資材と人員を運ぼうというものだったらしい。 熊谷−東小泉間は17.6キロ程であるが、この間に利根川があり、ここに橋を架ける工事の途中で戦争が終わってしまい、妻沼までの10.1キロと、東小泉−西小泉2.2キロの2路線に分かれたままになってしまった。 都心寄りの熊谷線のほうが需要がありそうな気もするが、他の東武線に接続しない孤独な路線のせいか電化もされず、赤字路線ということで1983年5月31日限りで廃止されてしまった。
そんな熊谷線の最後の春の様子です。


1983.4.24撮影。
大幡駅のすぐ北の陸橋付近。菜の花とクリーム色のDCがのどか。

同じ場所。鯉のぼりがいい感じ。
この後、陸橋から撮影していたと思われるちょっとイカれたあんちゃんに「お前邪魔なんだよ!」と怒鳴られた。知らんがな。

妻沼駅に停車中のDC。

妻沼駅。この写真はこちらでも使用しています。

大幡駅。この写真もこちらで使用しています。

ここから下は、1983.5.31撮影(つまり廃止当日)。
これは上熊谷駅だと思います。

廃止の垂れ幕。なぜか秩父鉄道の名が。

上熊谷付近。普段は1両でもすいている熊谷線ですが、さすがに2両でも超満員。

妻沼駅ホーム。

妻沼駅ホームに列車が進入。

ちょっと薄暗くなってきました。

妻沼駅前も大混雑。

妻沼駅の時刻表。朝の5時台に2本あったんですね。
しかし通学時間帯に1時間1本とは…。

さよならスタンプ。