〜くりでんに乗ってきました。〜

くりでんの愛称で親しまれていた、宮城県のくりはら田園鉄道に2006年5月に乗ってきたときの記録です。
くりでんは、大正10年に石越−沢辺間を開業した栗原軌道がその前身である。翌年岩ヶ崎(現栗駒)まで延長、 さらにしばらく開いて昭和17年、細倉鉱山へ延長し、細倉までの旅客営業を開始した。
全線の電化開業は昭和25年であり、昭和30年、栗原電鉄と社名を変更した。 その後しばらくは、細倉鉱山の貨物輸送を主に経営してきたが、昭和62年、鉱山の閉山に伴い貨物輸送廃止、 経営が一段と厳しくなる。細倉駅は無人化され、他の地方私鉄同様、廃止は時間の問題と思われても仕方のない 状況になった。
そんな中、平成2年に鉱山跡地を観光施設にした細倉マインパークがオープン、6月に細倉駅より200m かつての貨物線を使用して路線延長、細倉マインパーク前駅を開業、旧細倉駅は廃止された。
しかし、バブル期のブームに乗って開業したような施設だけでは旅客数が飛躍的に伸びるはずもなく、利用者数は減少、 さらに平成7年、車両を電車から気動車へ変更、社名もくりはら田園鉄道に変更された。
なぜせっかく電化されているのに気動車にするのか、素人目には理解不能なところがあったが、自社施設の変電所の老朽化、 発電の供給量不足などの理由があったようです。
そして、くりでんへの宮城県からの補助金削減などの事由により、平成19年3月をもって廃止となった。
廃止は淋しいことは確かであるが、実際に乗ってみて、朝の通学時間帯に立ち客が若干出るほかは1両でもガラガラの車内を見ると、 バス化も十分可能であると思うし、残念ながら存続の理由が見当たらなかった。

ここで、当日(5/8〜5/9)の行程をお見せします(駅名の左側が着時刻、右側が発時刻)。
池袋23:00(けせんライナー)→4:49一ノ関5:57(520M)→6:18石越6:26→6:34谷地畑(撮影・徒歩1.5キロ)→若柳7:34→8:08鴬沢(撮影)9:15→ 9:23細倉マインパーク前10:06→10:19栗原田町(撮影・徒歩0.8キロ)→栗駒12:27→12:35津久毛(撮影・徒歩3.5キロ)→沢辺15:35(シャトルバス)→15:50くりこま高原16:28(はやて22号)

くりでんに乗りに行くときは、土日きっぷか青春18きっぷを使おうと思っていましたが、5/8〜5/9はいずれのフリー切符も 使えない日でした。休みが実質1日しかないので、行きは夜行バス利用、帰りは新幹線利用にしてフリー切符は使わないことにしました。
往路は仙台行きか古川行きの夜行バスを使おう、と思っていましたが、釜石行きのけせんライナーなら、一ノ関で降りて始発のくりでんに乗れることが分かり、 予定を変えました。夜行バスは安くて便利ですが膝が痛くなりました。
鴬沢、栗原田町の近くには小さな鉄橋があり、撮影名所になっているので行きました。 しかし、鴬沢の鉄橋のすぐ脇で道路工事があり、工事車両が写りこんでしまい、よい角度で写真が撮れませんでした。 津久毛駅近くの田園風景のほうが比較的まともに撮れました。
ちなみに、ゴールデンウイーク明け直後とはいえ、鉄道マニアらしき人は一人も見かけませんでした。まだ廃止まで1年近くあったからなのでしょうか。


※各駅の訪問写真とスタンプ画像はこちらをご覧ください。


2006.5.9撮影。
若柳−谷地畑間。特に撮影ポイントではありませんがひと駅歩く間に撮ってみました。

鴬沢駅すぐ近くの鉄橋。
実はこの鉄橋のすぐ裏側で道路橋工事が行われていて、トラックなど数台が停まっていました。 それを写りこまないような角度にしたら、残雪の栗駒山も隠れてしまいました。残念。

旧細倉駅舎です。現在は地元の塗装会社?が使っています。

旧細倉駅のホーム。写真の奥が現在のマインパーク駅。

ホームに残る駅名標。最近まで隣駅の表示が残っていたようです。

石越方面をのぞむ。

車内の様子。

栗駒−栗原田町間の鉄橋。対岸で撮ればよかったのですが、場所の選択を間違えた…。
撮影するなら栗駒駅側の河原から撮った方がきれいに撮れます。

津久毛−杉橋間。遠くに残雪の山と田んぼ。くりでんの象徴のような風景。

沢辺−津久毛間。長閑です…。

上記同区間。もう少し稲が青々としている時期にも訪問してみたい。